ふたりのためにデザインされた最高に輝くウエディングシーンを... Luceのウエディングデコレーターが長い経験と豊富な知識でお二人の結婚式をお手伝いします。
スタッフ紹介
デコレーター 新矢 ヒカル Hikaru Shinya click to collapse contents

鹿児島県生まれ。
転勤族の父親の仕事の関係で西日本を中心に何度も引っ越しをして、高校1年から大阪に落ち着く。
披露宴の司会者やラジオのDJ等、喋り手としての経験を積むが、
披露宴の司会者としてだけでは新郎新婦に役立てることは少ないと思い、
フラワーアレンジ、メイク、写真、を勉強し、1998年からプロデューサーへ転向。
プロデュース会社に勤務し、大阪、神戸のレストランのプロデュース、海外挙式等を担当する。
2001年、関西のレストランが関東進出の際にウェディング立上げの要請があり、東京へ。
その後、そのまま東京のレストラン、プロデュース会社へ勤務。
神楽坂ラリアンスの初代ブライダル支配人として、独自のブランディングを行い、レストランウェディングの有名店へ押し上げる。
またその後は青山ラピュタのブライダル事業の立て直しを担当し、ブライダルの老舗のレストランの再構築を行う。
ブライダル事業の立上げ、立て直しやブランディングを得意とし、ブライダル商品開発の参画や、テレビドラマのプランナー、司会者の演技指導協力等、プランナー業務だけにとらわれず、幅広く活動の実績を持つ。
- 2012年ブライダル総研主催 『いい結婚式』の
プランニングコンテスト
『Good Wedding Award 2012』ソウル賞 受賞
Award Webサイト
ブライダル業界へのきっかけ
母親が鹿児島で結婚する前にモデルをしており、和装での結婚式が当然で披露宴でドレスを着ることが少なかった当時、
鹿児島に新作ドレスが入ると母親が着て写真を撮り、それが写真館やホテル、式場に飾られるという仕事をしていたため、
小さい頃から常に母親の色々なウェディングドレスを着た姿を写真で見ていた。
それがきっかけかウェディングドレスを身近に感じていた。
10代の後半にひょんなことからホテル、式場のブライダルフェアで和装モデルをする機会も多くなり、子供の頃から見ていたウェディングドレスや
婚礼和装はもっと身近になる。この時、いつもとは違う自分を引出してくれる写真の力に驚き魅了され、自らも一眼レフを手に取るようになる。
20代に入る頃には一般企業に勤務しながら、レポーターを目指し、アナウンスのレッスンをしていたが、同期から披露宴の司会の依頼があり、
その披露宴の司会で自分の天職だと思い、披露宴の司会に夢中になる。
事務所所属をしながら、関西のホテル、式場、船上ウェディング、レストランウェディングの司会の経験を重ねていく。
司会を担当した新郎新婦の紹介から司会の仕事が多くなってくると、司会だけでなく、会場装花、衣装、披露宴の進行のことなどの相談も多くなり、
司会だけにとらわれずウェディングアイテムなど、多方面での勉強を始める。
自らの結婚式を担当したプロデュース会社のプロデューサーの不甲斐なさに落胆し、こんな思いを人にさせたくない、
もっと新郎新婦のお手伝いをしたい、司会は年齢を重ねてからでも出来る、と1998年からはプロデューサーへ転向。
当時、レストランウェディングが少なかったため、レストランの発掘から現場でのデレクションフローも数多く行う。
駆け出しの頃のこの経験が後に大きく役立つことになり、東京に来てからはプレィングマネージャーとして寝食を忘れ、仕事に追われた日々を送る。
自身を含め、公私共に頑張ってきた同世代の女性が結婚式をしない選択をしている原因に「恥ずかしい」と
「選択眼のない経験のないプランナーに任せたくない」等、多くの声を聞き、自分がその受け皿になり、美味しい食事を楽しみながら、
ふたりを囲む本当に大切なゲストとの絆を深める、そんな本当のレストランウェディングをしたいと思い、Luceを立上げる。